最後の晩餐で、主は弟子たちにこう言われました。「私はもはやあなた方をしもべとは呼ばず、友人と呼ぶ」。
すべての真の友情の源である、神が私たち一人ひとりに対して持っておられる愛を経験することは、洗礼を受けたすべての人が持つ使命が何を意味するかを深く確信させてくれます。友情について考えることは、この確信を強め、友情の雰囲気や空間を作ることにつながります。そこでは、自分の心を相手に開き、一人ひとりに対する神の無条件の愛を発見することが容易になります。
「私はあなた方を友と呼んだ」シリーズは、2019年11月1日にフェルナンド・オカリス師が書かれた友情に関する司牧書簡のいくつかのアイデアを深める5つの記事から成っています。
目次
1. 「私はあなたがたを友と呼ぶ」(1) ~神様には友がいるのか?~
神様はいつもご自分から私たちとの友情を求められます。ご自分との交わりに生きるよう私たちを招いて下さるのです。たとえ人間に弱さがあっても、人々が道の途上で埃を立てることがあっても、神様がお考えを変えることはありません。この無条件の愛に包まれるに任せるならば、私たちは光と強さに満たされ、周囲の人々の良い友となることを学ぶでしょう。キリスト者の生活についての新しいシリーズが始まります。
2. 「私はあなたがたを友と呼ぶ」(2) ~この世を照らすために~
イエスは、この世を去る前に「新しい掟」を私たちにお与えになりました。「新しい掟」は、本物の友情が真の使徒職でもあることを私たちに教えています。
周囲の人々からの愛情を受け止めることは、自分の人生に神様の場所を作る一つの方法です。私たちの友情の一つひとつがキリストの与えて下さる友情を改めて思いめぐらす機会となります。
同じ使命に召された人々の友情は、その道をいつも幸せで満たします。
5. 「私はあなたがたを友と呼ぶ」(5)~どれほど互いに愛し合っていることか~
キリスト者が周囲の人に示す親しさは、いつも人々から称賛されてきました。時代が変わっても、新しい状況の中で親しさの生き方が生まれます。