ハビエル・エチェバリーア司教はファチマのマリア様が現われた場所にあるチャペルで祈りを捧げます。(2015年3月20日)

ハビエル・エチェバリーア司教はファチマのマリア様が現われた場所にあるチャペルで祈りを捧げます。(2015年3月20日)

3月20日、属人区長はファチマを訪れて、祈りの後にロウソク三本をマリア様に捧げました。そのロウソクには、"obrigado"「ありがとう」, "perdão"「お赦しください」, "ajuda-me"「助けてください」と刻まれています。(ビデオ3分30秒)

人生の主役

信仰を知る
人生の主役

反射的にする反応について、なぜそういう反応をするのかを説明するとき、「私はそういう人間だから」と説明するより、「私はこのように自分を作り上げたから」と言うべきである場合が多い。キリスト信者の人格鍛錬についての記事

キリストのような人格

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キリストのような人格

人格形成とキリスト教的な成熟に関する一連の記事を提供します。人格は日常生活にどのような影響を与えるか?人は変わることができるでしょうか?恩恵はどんな役割を果たしますか?

慎ましさを育てる(1) 少年期

信仰を知る
慎ましさを育てる(1) 少年期

人は、自己の内面をより深く知るに従って、慎ましさの感覚に目覚めて行くものです。自分自身を大切にする心(自己に対する尊敬)は、まず、家庭において学ぶものです。この記事が勧める事柄。

ソフィーの証言

証言
ソフィーの証言

ソフィは25歳で結婚して間もなく、夫が事故に遭い、重い障害を負いました。「あなたは若い、別れるなら、今ですよ!」とソーシャルワーカーに言われましたが、残りました。

属人区長の書簡

属人区長の手紙(2015年3月)

属人区長の書簡では、教会が過ごしている四旬節を中心にして、特に人々への愛徳を生きるように勧めています。

 愛する皆さん、イエスが私の娘たちと息子たちをお守りくださいますように!

 四旬節が始まって十日経ちました。教会は、感謝のうちに、イエス・キリストの砂漠における40日間の祈りと断食、悪霊に打ち勝たれたことを思い起こし、それに倣うよう励まします。そして、過ぎ越しの三日間の主のご受難とご死去、ご復活の場面に深く入り込む準備をしっかりするようにと促します。ですから、数年前に聖ヨハネ・パウロ二世が思い起こさせて下さったように、この間の典礼は主なる師に固く一致して過ごすように勧めます。

 「『今、私たちはエルサレムへ上って行く』(マルコ10,33)このみことばで、主は、弟子たちを、共に旅に出るよういざないました。この旅は、ガリラヤから、主が救いの使命を成し遂げられる地までの旅でした。エルサレムへの道は、福音記者たちがイエスの地上での旅路の頂点として描きあげていますが、十字架に向かわれる師に従うことを心に決めたキリスト者たちにとっては原点となる旅だったのです。今日でも、わたしたちは皆、キリストによる『エルサレムへ上って行こう』という呼び掛けを受けています。キリストは、自らを省み、主との十全な交わりを見いだしつつ、その死と復活の秘儀に参加するのに適切なこの四旬節に、特にこのことを強調しておられます。

 ですから、四旬節は、信じる者に、人生を深く省みるための適切な機会を与えてくれるものなのです」[1]

 教会が、四旬節に実行するよう勧める回心のための具体的な方法の主なものを私たちは知っています。祈りと償いと愛徳の実行です。ここでは特に最後の点に注目したいと思います。フランシスコ教皇が四旬節のメッセージで「無関心のグローバル化」に言及しておられます。これは現代に際立つ悪であり、神の業に真っ向から反することです。事実、主は無限に慈悲深く、全ての人を一人ひとり見守り、私たちが主から離れた時にも探し出し、いつも神の良い子供として振る舞うことを決心するよう、恩恵の光で照らし、力づけて下さることをお止めになることはないのです。教皇は強調されます。「自分が健康で快適に過ごしているときには、他の人々のことを忘れています(父なる神とはまったく違います)。他の人々の問題や苦しみ、彼らが耐え忍んでいる不正義などに関心を示さない…」[2]

 この危険を乗り越えるため私たちはお互いに連帯しなければなりません。何よりも ...