聖ホセマリアの生涯ー6

​1927年4月、聖ホセマリアはスペインの首都マドリードに到着しました。そこでの最初の仕事はサン・ミゲル教会の手伝いでした。病人援護会の担当司祭となったので、11月に援護会の教会近くのアパートに引っ越しました。そうして、サラゴサから家族を呼び一緒に生活を始めました。

病人援護会(マドリード)

1927年4月、聖ホセマリアはスペインの首都マドリードに到着しました。そこでの最初の仕事はサン・ミゲル教会(写真)の手伝いでした。近くのアパートを借りましたが、すぐに司祭のための寮を見つけてそこに引っ越します。当時はスペインの地方から首都に来る司祭が多かったので、彼らのために建てられた寮です。早速、マドリード大学で法学の博士課程の試験を受ける手続きをし、またマドリード教区に留まる許可を手に入れようとしました。この許可を得るためには、どこかの教会か修道院で仕事をしていることが必要でした。

サン・ミゲル教会での仕事だけではとてもやっていけず困っていたとき、思わぬ所から助け手が差し伸べられました。その頃マドリードで病人援護会という病人や貧しい人々を助ける女子修道会が生まれていたのですが、その創立者が熱心な若い司祭がいることを聞きつけ、彼を修道会の教会の担当司祭にしようと考えたのです。こうして聖ホセマリアは6月に待望の正職を得ます。仕事内容は教会でのミサや祈りの指導でしたが、彼は援護会が繰り広げていた様々な慈善活動の仕事も喜んで手伝いました。

サン・ミゲル教会(マドリード)

病人援護会の担当司祭となったので、11月に援護会の教会近くのアパートに引っ越しました。そうして、サラゴサから家族を呼び一緒に生活を始めました。司祭の寮にいたのは半年くらいでしたが、そこでも多くの人と友達になりました。その一人が思い出を語っています。「(印象を受けたのは)率直な話し方と、陽気さでした。それはただ彼の若さ(当時25歳)のためだけではなく、心の中に持っていた喜びと司祭の召命を神と人々のために生きていた結果でした」。また「どういう話の中だったかは覚えていませんが、彼は知識人に正しくキリスト教の教えを伝えることが大切だ。というのは、知識人は山頂の雪のようなもので、溶けて流れるとふもとの谷々を潤す(つまり社会に大きな影響を与える)からと言っていました」。

聖ホセマリアは寮の司祭たちにも病人援護会の慈善事業を手伝うよう誘っていました。まだ何かは分からない、神の望みを行いたいという気持ちは消えるどころかますます強くなっていました。「主よ、見えますように」と繰り返して、もう9年がたっていました。