第一章:この世界を愛した司祭 (11.Q02)

1.私は無価値なみじめな者、しかし価値ある愛で一杯の者 (11.Q02)

  11.Q02 - 常時のことだったと思いますが、あの微笑みと快活な態度からは、秘められた煩いや苦しみに気づくのは難しいことでした。しかし、クストス(世話係)には、殆ど始終、心を打ち明けてなんでも話していました。ハビエル・エチェバリア司教様はやがて、エスクリバー・デ・ バラゲル師の内的戦いをそば近くから見ることになりますね。

 11.A02 - ほとんど20年間、私はクストス(世話係)として過しましたが、私たちがした示唆やコメントをいつも感謝のうちに受け入れていました。主に近づくための戦いに倦むことはなく、最も小さな欠点とも戦い、主を深く愛している人として愛なる御方に全ての力をつくして愛を傾けて応えようと熱望していました。日々、難しいことや易しいこと、重要な仕事やそれ程でもないことにおいて、懸命に自己をこの愛に駆り立てていました。

何事をも後回しにすることはなく、何かを正すべき時には特にそうでした。私たちが忠告したりコメントしたりすることは、明日を待たずにすぐ実行するよう努めていました。疲れを口実にすることなく、性格を矯め直し、神への愛をますます深めるよう励みました。それゆえ、神からの教えについて非常に生きいきとした勧めをすることができたのです。「いつも次のように勧めています。良いことはできるだけ早い方がよい。主への献身においては、私たちをがんじがらめにする鎖はなく、常によりよく献身する自由があるだけです。」神が師に頼まれているレベルで応えようと努めていました。ですからご自分の毎日で、神が急いでおられることに注意を払わず、怠りがあったと思えると、いつも主に赦しを願っていました。

生涯の最後の日まで、もっと信心を深め、快活さと楽観的な態度を増し、義務を正確に果たし、病気をより良く忍び、骨身惜しまず働き、完全に全てをお捧げできるよう、二人のクストスに頼んでいました。主に対して決してノーと言わず、神のお望みに中途半端な応えかたをしなかったと私は保証できます。

自分が実行していたことを人々にも勧めました。「いつも準備を整え、何時でも、あらゆる時が私達の最後の戦いになり得ることを考えなければなりません。」また、他の言葉を使って言っています。「大事なことは、何時でも訪れ得る最後の戦いが来た時、主の御前に出られるように、私たちの準備が出来ていることです。」

この戦いで努力を惜しむことはありませんでした。1971年8月次のように言ったことの中に、その良心の濃やかさと神のみ旨に合わせようと自我を踏みつけていたことが要約されていると思います。「聖性とは、自分の欠点とたゆまず戦うこと。聖性とは、言い訳を探さずに各瞬間の義務を果たすこと。聖性とは、どんな埋め合わせをも求めずに人々に仕えること。聖性とは祈りと仕事を通して、主との根気強い対話に根ざした絶え間ない主との出会い、深い親交(水魚の交わり)を求めること。聖性とは、自分自身を忘れるほど、他人の救霊のために尽くすこと。聖性とは、神との個人的な出会いにおいて、いつも『はい』と応えること。」

聖ホセマリアはご自分の性格を完全なものにしていくために、具体的にどんな面で戦われていたかを、少しでも話していただければ、読者の役に立つと思うのですが。

若い時から立派に、自然徳を備えていました。すぐにそして自然に対応できる性格、物事が良く行われていない時や、すべきようにしてないと思えることに対してあからさまに立腹することを欠点として非常に気をつけていました。

いずれにしろ、目立つ欠点になり得たこのような性格は、師の豊かな人格形成のための支えとなり、後程、主が準備しておられたことに立ち向かうために必要な確固たる基になりました。性急さは聖なる大胆さに、直情的な性質は、自分自身には厳しく、他の人には理解を示すことに変わりました。度々、心の奥深くの思いを私たちに打ち明けられました。「あなたたち一人ひとりに迷惑をかけたことがあったら許してください。私の態度で、知りつつも人を傷付けるようなことはしたくない、といつも考えているのは確かです。いずれにしろ、私の振る舞いややり方で誰かを煩わすことがあったとしたら許してください。」

持って生まれた自然な傾きをプラスにするよう戦いました。信念の強さと精力、迅速な決定能力、機智に富んだ独創力、周りの出来事へのすばやい反応力、あるいは様々な難題に答えるときの巧みな話術などです。しかし、自己中心になることはなく、反射的な態度を抑え、主や人々に仕えるにあっては、正しい意向を持って話し、振る舞うよう努めていたのです。

その生涯を見ると、神に向けられた意志と知性が性格を完全にコントロールしていたと確言できます。この勝利は、いつも私たちに手伝うよう頼んでいたとはいえ、絶えず自戒していたことからもたらされたものです。正さずそのままにしていたら、神から離れる機会になるような小さな事をすぐに捨てるよう戦っていました。常に落ち着きを保ち、そのバイタリティー溢れる気質はいつも賢明と剛毅によって均衡が保たれていました。