29.イエスはマグダラのマリアとどのような関係にありましたか?

福音書から導き出せる結論は、マグダラのマリアはイエスに大きな愛を抱いていたことです。彼女はイエスにより七つの悪霊を追い出して頂き、イエスにつき従い、自分の持ち物を出して奉仕しました(ルカ8,2-3)。そしてイエスが十字架につけられた時、イエスの母マリアや他の婦人たちと一緒にいました(マルコ15,40-41等.)。

キリストを知る

 福音書から導き出せる結論は、マグダラのマリアはイエスに大きな愛を抱いていたことです。彼女はイエスにより七つの悪霊を追い出して頂き、イエスにつき従い、自分の持ち物を出して奉仕しました(ルカ8,2-3)。そしてイエスが十字架につけられた時、イエスの母マリアや他の婦人たちと一緒にいました(マルコ15,40-41等.)。福音書によると、復活したイエスが最初に現われたのは、涙を流しながら探していたマグダラのマリアに対してでした(ヨハネ20,11-18)。このことにより、彼女はイエス復活の証人として教会の中で尊敬を集めました(「28.マグダラのマリアはどのような人ですか」を参照)。これらの記述からは、彼女が罪深い女であったとか、ましてやイエスの妻であったといったことは推定できません。

 この最後の点を主張する人々は、福音書の外典にその拠り所を求めます。恐らく『トマスの福音書』の核心部分を除くと、それら外典は、歴史的な記述になっておらずグノーシス主義の教えを伝えるために、正典の福音書より後に書かれたものでした。

 これらの作品には福音書と付されていますが、正確には福音書ではありません。これらの書には、復活後のイエスが弟子たち伝えたとされる秘密の啓示が記されており、マリハムという名の女性(わずかな写本を除いて「マグダラ」という言葉は出てきません)がその啓示を最も理解する者として示されています。従って、彼女は他の誰よりもイエスに愛され特別の啓示を受けたとされています。また、これらの幾つかの文書(『トマスの福音書』、『救世主の対話』、『ピスティス・ソフィア』、『マリアの福音書』)の中で、使徒たちがこのマリアが女性であるという理由により彼女に反感を抱いたことが記されています。これらの記述はグノーシス主義の一部には女性を否定的に捉える者たちがいたこと、また、それにもかかわらずマリアは重要な使徒であったことを反映していると言われています。しかし、ある研究者は、これらの記述は、当時、グノーシス主義と戦っていた正統な教会の態度が反映していると考えています。つまり、グノーシス主義の中から、女性を霊的なリーダーとして立てるグループが出て来たのですが、正統な教会はこれを拒絶したというのです。この意見には裏付けとなるものがありません。その反感の記述は、むしろ教義を巡る論争の表われであったと理解できます。つまり、ペトロと他の使徒たちの教えに対して、マリハムという女性の名で提示されたグノーシス主義の考えが論争を引き起こしたのでしょう。いずれにせよ、マリアを拠り所にするのはグノーシス主義の主張を正当化するための方法です。

 他の外典、特に『フィリポの福音書』では、マリハム(ここでは出身地のマグダラの名前も付されています)は、まさに女性であるという理由でグノーシス主義の模範として描写されています。彼女は、キリストに従いキリストと完全に一致することを霊的に象徴しているとみなされています。このような背景から、イエスがマリアに口づけしたことが語られています(文献にはそのように記述されています)。その口づけはキリストとの一致を象徴的に示しており、グノーシス主義にとっては洗礼や聖体にまさる一種の秘跡であり、これを通して自分たちは「グノーシス(神秘的知識)」に生まれると考えていました。これらの記述は性的交わりとはまったく関係がありません。したがって、権威ある研究者は誰もこれらの記述をイエスとマグダラのマリアとの性的な関係の歴史的証言とは理解していないのです。当時のキリスト教徒でさえ問題にしておらず、歴史的にも何ら根拠のない誤った意見が、しばしば新発見であるかのように取り沙汰されることは、とても残念なことです。